理想的な勝ち方

夏休みなので、ガツッと書いてみる。
3ヶ月ぶりだけど。

個人的な理想的勝ち方。
といっても、狼の場合のみだけなんだけども。

「狼なんじゃないか?」とみんなから疑われている状況において
「たとえ僕が狼だったとしても、Aさん(他の容疑者)を吊ってもまだ勝てるよ。
逆に、僕が狼じゃなかったら、Aさん吊らなかったら負けるよ」と言い訳をし、
まさかの逆転。

というのが理想的。
あと、村人の能力は全部使い切らせたい。

実際のゲームで近いところが、

アブダクション

他人の推理方法が理解できない原因を少し考えてみた。
聞き慣れない言葉が出てくるが、最後に説明を入れてある。


僕は人狼の推理はアブダクティブに行っている。
実際の手順としては次の通り。

  1. まず、適当に全員の配役を割り振る
  2. それに基づいて、行動におかしなところがないか照らし合わせる(パスなど)
  3. 1に戻って、先ほどとは違う配役を割り振る
  4. 全ての配役を割り振ったところで終了

この手順を繰り返し、あり得る可能性だけを抽出する。
そして、可能性の高さで順位をつけて自分の推理とする。


もちろん、1の手順にはある程度見当をつけないと
膨大な配役の可能性を検証しなければならないため、
その点ではアナロジー的な手法をもちいる。


一方で、あくまでもアナロジー的な推理を行う人が多いような気がする。

アナロジー的な考え方は再三述べてきているセオリーの集合によるものである。
つまり、ある状況に対して適用できるセオリー/経験を探し出し、それと同じだとしてしまうことがアナロジー的な推理方法である。
したがって、セオリー/経験にない状況が現れると、アナロジー的推理方法は破綻する。
また、この方法では状況を自分で作り出さねばならない狼サイドでは、動きが鈍ってしまうのは致し方ない。

セオリーはある仮定から演繹的に導きだされるものである。
よって、セオリーはルール全体の情報量を持たず、仮定から外れた分の情報量が欠落していると言える。
従って、セオリーだけでルール全体をカヴァーするには欠落分をお互いに補完できるようにセオリーの数を増やさねばならない。
そのため、あらゆる仮定でのセオリーを集めたものがルール全てを把握できるセオリーである。
(こんなものをまとめるくらいならば、逐一セオリーを構築した方がよっぽど効率的だと思える。)
無限に近いセオリーの集合でルール全てをカヴァーすることが出来るが、
有限個のセオリーではルール全てをカヴァーできないと考えられる。
そのため、アナロジー的推理ではカヴァーしきれない状況が発生しうる。
常に破綻の可能性をはらんでいる。



出てきた言葉について

人狼の場合に即して書いてみる。

アブダクション

アブダクション
ある状況に対して、配役の仮説を立てる。
この仮説が現象をうまく説明できるとき、仮説は正しい、とするものである。

仮説を立てるところは、極めて帰納的である。
その仮説が状況をうまく説明できるかの検証は、演繹的に行わねばならない。
その点で、帰納的かつ演繹的であると言える。
尤も、その仮説が正しいかどうかは必ずしも言えないが、単に帰納的であるよりは正しいと言えるはずだ。

アナロジー

アナロジー
ある状況aがある配役(配役バランスではない)で起こっていたとする。
ここで、状況aによく似た状況bがあったとする。
このとき、状況bは同じ配役で起こっていると考えられる、とするものである。

つまり、人狼においては、経験則そのものとなっている。
状況と配役のつながりが分かっている/覚えていると、人狼がうまいということになる。

セオリーの限界

基本と応用に関連した事項。


まず、「セオリー」を定義する必要があるのですが、ここでは割愛します*1
セオリーとは、「応用」の集合体であると言えます。

応用であるが故に、「使用を想定している状況」が現れないと使用することが出来ません。
ここにセオリーの限界があります。
自分でセオリーを導くことが出来る・何故セオリーが成立しているのか理解できることが
ゲームとしての人狼をプレイする上で重要な要素となります。

*1:セオリーの定義: 大体のイメージでは、「ある状況に対する行動・推理の方針をまとめたもの」と言えると思います

ゲーム理論を用いることについての最初の障壁

人狼ゲーム理論の入門書にあるようなゲームとは大幅に趣を異にする。
というのは、最初は誰がどのサイドであるか分からないからだ。

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人狼戦術論について

人狼の戦術論を公開する方が居る。
僕もそうなのだが。
ここで言う戦術とは、推理やその説得方法、投票なども含む。
いわば、人狼における主体行動すべてである。



戦術には、各人のアイデンティティが色濃く反映されている。
すなわち、独創性があるのだ。
一方で、ゲームに参加している人に
その戦術の意図が伝わらなければ戦術の意味をなさない。
すなわち、一般性が必要なのだ。



独創的であればある程、その意図は伝わりにくい(傾向がある)。
また、一般的であればある程独創性が乏しくなる。

優れた戦術はこのバランスが非常に良いと思う。

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基本と応用

基本がなってないと応用ができない。


よく聞くフレーズです。
算数の基本問題と応用問題、難しいのは応用問題ですね。
基本問題もできないのに、応用問題ができるわけがない。



でもそれって逆じゃないですか?と最近思うのです。
つまり、応用ができてないと基本ができない。


そら、算数の問題を解くときなら、「基本ができてないと応用ができない」でいいのです。
でも、算数の問題を解く人がそんなに居ますか?
実際に直面する問題は「基本」が分からない問題なのです。
つまり、「応用」しか見えていません。


別の言葉を使うならば、
応用が表面
基本が本質
となるわけです。



物理学でいえば、
応用が現象
基本が法則
(基本の基本が原理)
となるわけです。



噛み砕いてみます。
簡単な例えを出しましょう。

リンゴは木から落ちるのに、月は空から落ちてこない。
なぜ?

ニュートン万有引力のお話です。


「リンゴは木から落ちるのに、月は空から落ちてこない。」というのは「現象」です。
これだけ見ていたのでは、万有引力に考えが及びません。
なので、
「高さが違うから、落ちてくるのに時間がかかるんだよ。」とか、
「高さが違うから、落ちるための力が届かないんだよ。」とか、
そう言うことを言い出す可能性もあるわけです。


もし、高さが問題ならば、もっと近くならばどうか(低ければどうか)。
例えば、人工衛星は落ちてくるのか?
それに答えることはできないのです。


応用はできている(「リンゴは落ちてくるのに、月は落ちてこない」という事実を知っている)のに、
基本は分からないのです。


しかし、基本だけできていればいいかと言うと、そう言うことでもありません。
なぜなら、いろいろな数字を知らないと応用できないからです。
つまり、万有引力の法則を知っていても、月の重さや運動のスピードを知らないとなぜ月が落ちてこないかを説明できないからです。
基本はいろいろな応用を包括しているので、当たり前と言えば当たり前です。
確かに基本だけど、実際には使えないなあ、という基本もあるわけです。


更にいうならば、万有引力の法則では「なぜ万有引力が存在するの?」という疑問には答えていません。
その説明は一般相対性理論に踏み込むことになるので割愛します。(というか説明できません。)
つまり、基本と思われるものにも、更に基本があるのです。
しかも、基本になればなるほど見えにくくなります。

まとめると、

  • 応用の方が見えやすい。実際に即している。
  • 基本の方が見えにくい。実際には使えない場面も多い。


例えば、人狼においても、
「3人部屋では狼は噛む傾向がある」とか
「用済みカウンターは吊り」とか
いろいろな法則らしきもの(セオリー)があります。
これは基本だと思われがちですが、応用と取ることもできます。

つまり、「これらの法則って、なぜ法則として成り立っているの?」ということです。
よく言われている法則、セオリーには何らかの根拠があってセオリーになっているのです。
それは何でしょうか。
それを考え出すと、人狼はさらに面白くなるのです。










ちなみに、万有引力の法則は次のように与えられます。
それぞれ質量m_1m_2を持つ2つの質点が距離r離れているとき、
その2つの物体が引き合う力Fは次式で与えられる。
F=G\frac{m_1 m_2}{r^2}
ただし、G万有引力定数である。
(万有引力 - Wikipediaなどを参照のこと。)


この法則と運動方程式を用いることで、月が落ちてこない理由が説明できます。