アブダクション

他人の推理方法が理解できない原因を少し考えてみた。
聞き慣れない言葉が出てくるが、最後に説明を入れてある。


僕は人狼の推理はアブダクティブに行っている。
実際の手順としては次の通り。

  1. まず、適当に全員の配役を割り振る
  2. それに基づいて、行動におかしなところがないか照らし合わせる(パスなど)
  3. 1に戻って、先ほどとは違う配役を割り振る
  4. 全ての配役を割り振ったところで終了

この手順を繰り返し、あり得る可能性だけを抽出する。
そして、可能性の高さで順位をつけて自分の推理とする。


もちろん、1の手順にはある程度見当をつけないと
膨大な配役の可能性を検証しなければならないため、
その点ではアナロジー的な手法をもちいる。


一方で、あくまでもアナロジー的な推理を行う人が多いような気がする。

アナロジー的な考え方は再三述べてきているセオリーの集合によるものである。
つまり、ある状況に対して適用できるセオリー/経験を探し出し、それと同じだとしてしまうことがアナロジー的な推理方法である。
したがって、セオリー/経験にない状況が現れると、アナロジー的推理方法は破綻する。
また、この方法では状況を自分で作り出さねばならない狼サイドでは、動きが鈍ってしまうのは致し方ない。

セオリーはある仮定から演繹的に導きだされるものである。
よって、セオリーはルール全体の情報量を持たず、仮定から外れた分の情報量が欠落していると言える。
従って、セオリーだけでルール全体をカヴァーするには欠落分をお互いに補完できるようにセオリーの数を増やさねばならない。
そのため、あらゆる仮定でのセオリーを集めたものがルール全てを把握できるセオリーである。
(こんなものをまとめるくらいならば、逐一セオリーを構築した方がよっぽど効率的だと思える。)
無限に近いセオリーの集合でルール全てをカヴァーすることが出来るが、
有限個のセオリーではルール全てをカヴァーできないと考えられる。
そのため、アナロジー的推理ではカヴァーしきれない状況が発生しうる。
常に破綻の可能性をはらんでいる。



出てきた言葉について

人狼の場合に即して書いてみる。

アブダクション

アブダクション
ある状況に対して、配役の仮説を立てる。
この仮説が現象をうまく説明できるとき、仮説は正しい、とするものである。

仮説を立てるところは、極めて帰納的である。
その仮説が状況をうまく説明できるかの検証は、演繹的に行わねばならない。
その点で、帰納的かつ演繹的であると言える。
尤も、その仮説が正しいかどうかは必ずしも言えないが、単に帰納的であるよりは正しいと言えるはずだ。

アナロジー

アナロジー
ある状況aがある配役(配役バランスではない)で起こっていたとする。
ここで、状況aによく似た状況bがあったとする。
このとき、状況bは同じ配役で起こっていると考えられる、とするものである。

つまり、人狼においては、経験則そのものとなっている。
状況と配役のつながりが分かっている/覚えていると、人狼がうまいということになる。