全体は部分の総和以上の何かである。

全体は部分の総和以上の何かである。

と昔の偉い?人*1が言ってたらしい。
その真意とは、たぶん次のようなことであると思う。

全体とは部分の総和と部分の相互作用の総和である。

つまり、部分がたくさんあると、その部分同士が相互作用を起こしており、これによって全体を形成している。


例えば。
サッカーで1人でゴールを決めにいこうとすると、当然個人技のみが重要となる。
ボールのキープ力やフェイント、当りの強さ、いろいろな要因はあるが、個人技に帰着する。
ところが、2人になると、各々の個人技の能力にプラスして、「パス」というのが重要になる。
これが相互作用の部分である。
「1+1が2以上になる」とか言う言葉は、この辺のことを表現しているのかと思う。
また、3人になると、「どちらにパスを出すか?」という要素も増え、相互作用の効果は益々大きくなる。




人狼の推理においても、同様なことが言える。
1つの部屋の真偽を確かめるためには、全体を見回さないといけないことが多い。
というのも、日数が経ってくると、ありえない組み合わせ*2がでてくるからである。
よって、1つの部屋で事件が起きている背後で、他の部屋で起こっていることを推測しなければならない。


また、1つの部屋の真偽を会議で確かめるのは不可能に近い。
なぜなら、「明確な判断基準がないから」である。
例えば次のようなことである。

例えば、1つの部屋で死人がでたとする。
死因は自殺だと主張している。
このとき、「必死さが足りない」「話に真実味がない」「タイミングが噛みっぽい」ということを基準にして真偽を判断する。

これは、「明確な判断基準」と言えるだろうか?
狼はいくらでも嘘をつくことができる。
2人部屋であれば、死のタイミングも嘘をつくことができる。
1つの部屋の真偽を会議で徹底的に調べることはナンセンスだと思う。
明確な判断基準がない以上、1つの部屋のみの真偽は知りようがない。


では、何を会議で調べるのかというと、相互作用の部分である。
つまり、事件の関連性である。
簡単なところでは「事件の当事者同士が怪しみ合っていれば、反対サイドである可能性が高い」などである。
(もちろん、可能性の話*3であるため、怪しみ合っていても同サイドである可能性もあるのだが。)




推理の過程としては次のようになる。
会議開始

  1. 事件全体を見る
  2. 全ての可能性を考える
  3. その中からありえないものを排除する(ほとんど排除できないが)
  4. 可能性の高そうなものから順位をつける
  5. 会議で事件の当事者同士の繋がりをみる
  6. 可能性の高さを多少修正する
  7. 可能性の高い2つか3つに絞って、吊っても大丈夫そうな人を探す*4
  8. その人を吊るように会議を進める

会議終了
という感じになる。
4と6にある、可能性の順位付けやその修正が個性みたいなもんかと思う。




という推理の仕方に関するヒント。
長くなったのでほとんど読まれないこと請け合い。

*1:昔の偉い?人: デュルケームという心理学者が言ったらしい。参考: google:全体は部分の総和以上の何かである ここでは、その正確な意味を掴むのが目的ではなく、曲解を示しているだけ。言葉が都合が良かったから使ってるだけです。

*2:組み合わせ: 全ての事件に対して可能性を当てはめること。「ありえない」とは、例えば、起こったブロックが全て真だとすると、「牧師多過ぎ!」となるということである。そこで、どのブロックが真で、どのブロックが偽であるかを推測しなければならない。これらに関しても、他の死人などの事件から推測できることが多い。

*3:可能性: いかなる可能性も確定となるケースは稀。

*4:吊っても大丈夫そうな人: 必ずしも、推理したいずれかのケースで狼となる人というわけではない。